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価値のジレンマ・・・No.119 地上波民放テレビ局の窮状を救うのは、広告を出稿する企業しかいない

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このところ地上波民放テレビ局の魅力は急速に低下しており、これまでの視聴率至上主義の発想ではこの窮状を打破できなくなっています。地上波民放テレビ局が生活者と企業が求める「良質な情報」を発信する組織に転換できるかどうか。その解決策は、この視点に集約されているように思います。

「テレビでなければ生活者に情報が届かない」という時代ではない

インターネットとSNSの普及によって、地上波民放テレビは大きな転換点を迎えています。

かつてテレビは、日本社会における最大の情報インフラでした。新聞・雑誌・ラジオ・テレビというマスメディアが情報流通の中心だった20世紀には、企業が商品やサービスを広く認知させるためにはテレビ広告(特に番組提供スポンサーになること)が最も有効な手段でした。

そのため企業が広告出稿を判断する際の最大の指標は「視聴率」でした。

広告代理店も視聴率を重視し、テレビ局もスポンサーを獲得するために視聴率競争を繰り広げてきました。その結果、本来重視されるべき番組の質や社会的価値よりも、「いかに数字を取るか」が優先される構造が形成されていったのです。

しかし現在、その前提そのものが崩れ始めています。

電通が発表した「2025年 日本の広告費」によれば、日本のインターネット広告費は初めて4兆円を超え、総広告費の50%を突破しました。一方で、マスメディア四媒体の広告費は減少傾向が続いています。企業の広告予算は、テレビから動画配信、SNS、検索、リテールメディアへと急速に移動しています。つまり企業はもはや「テレビでなければ生活者に情報が届かない」という時代ではないのです。

こうした環境下で地上波民放テレビでは、

・ワイドショーを中心とした偏向的な報道姿勢への批判

・専門性を持たないタレントによる安易な評論の増加

・制作費不足による低品質なコンテンツの量産

・SNS炎上を前提にした過激な演出

などが指摘されるようになりました。

視聴率を維持するために、質が低く刺激的な内容へ依存するほど、良識ある生活者は離れていきます。そして視聴者が離れればスポンサーも離れる。この悪循環が現在の地上波民放テレビの構造的課題ではないでしょうか。

地上波民放テレビ局が再び存在意義を取り戻すためには、「スポンサー企業の姿勢」が重要になると考えています。

企業は単に視聴率だけで広告出稿を判断する時代ではありません。

・どのような価値観を持つ番組なのか。

・生活者にどのような影響を与えるコンテンツなのか。

・企業ブランドの理念と整合しているのか。

こうした視点で広告投資先を選ぶべき時代に入っています。

実際、その兆候はすでに見え始めています。

代表的な事例が、トヨタ自動車による「トヨタイムズ」です。

トヨタは従来型の広告だけに依存するのではなく、自社が直接情報を発信するオウンドメディアを構築しました。経営陣の考え方、技術開発の背景、モビリティ社会へのビジョンなどを継続的に発信し、テレビCM・Web・SNS・YouTubeを横断して生活者との接点をつくっています。

これは単なる企業広報ではありません。

「企業が伝えたい価値を、自らコンテンツとして発信する」という新しいメディア戦略です。

かつて企業はテレビ番組のスポンサーでした。しかし今後は、「どの番組を支援するか」だけでなく、「どのような社会的価値を発信するコンテンツを支援するか」が問われるようになってきます。

良質なドキュメンタリーや知的エンターテインメント番組、科学番組、歴史番組、教育コンテンツ(エデュテインメント)、地域文化を伝える番組などに企業が積極的にスポンサーとして関われば、テレビは再び公共的価値を持つメディアとして評価される可能性があります。

逆に言えば、質よりも刺激や対立を煽る番組ばかりが残るのであれば、生活者もスポンサーも離れ続けるでしょう。

テレビ局の危機は、単なる視聴率低下の問題ではありません。「何のために放送するのか」という存在意義の問題です。そして、その存在意義を問い直す最後の鍵を握っているのは、広告費を投じるスポンサー企業ではないでしょうか。

企業が短期的な接触回数や視聴率だけではなく、社会にどのような価値を提供する番組なのかを重視するようになったとき、地上波民放テレビ局は初めて再生への道筋を見出せるのではないかと考えます。